大学1年のとき,先輩3人に廻された. ある夜,先輩の家に招待され,酒をしこたま飲まされ,したたか酔っ払ったところで,どうやら示し合わせていたらしい. 「これから,可愛がってやるぜ」と,突然声の調子が変わり,抵抗する俺を無理やり全裸にひん剥いて,ベッドの上にうつ伏せに寝かされ,両手を縛られ,ベッドに固定させられた. 最初は冗談だと思って,「やめてください.冗談きついっすよ」といってみたが,奴らの目が真剣で,これはマジでヤバイとようやく気づいた. そして,二人がかりで全身を押さえられ,抵抗できなくなってから,残りの一人が,俺のケツにベビーローションを塗りたくり,下半身裸になって,ちんぽをケツに入れてきた. 「いて~!」 俺は泣き叫んだが,容赦なくピストン運動を繰り返す. 「おお,おいつのケツマン,締まるぜ」 地獄のような時間がすぎ,ようやく俺のケツマンに射精した.俺の腸内で,液が注入されたのを感じた. この瞬間,悔しくて涙が出てきた. ほっとするまもなく,次の先輩に犯された. 今度は仰向けにさせられ,正常位で入ってきた. もはや俺は抵抗する気をなくし,彼らに犯されるままだった. 前に入った精液が潤滑になるらしい,スムーズに入ったが,そのころからおれは,ケツにチンポが出入りするたび,猛烈にウンコが漏れそうな感覚に襲われていた. このとき俺は,なぜか,ここでウンコを出してはいけない,我慢しなくてはならないと思ってい,体を硬直して耐えていた. ついに我慢ができなくなって,俺はその場でウンコが漏れることを覚悟し,力を抜いた. ウンコは出なかった.その代わり,このウンコが出そうな感覚が,じつは気持ちよさにつながる事に気づいてしまった. 「あ~~」 気がつけば,俺は勃起していた. そしてそれを見て,先輩たちは,冷蔵庫から黄色い小瓶を取り出してきて,俺の口と片方の鼻穴を手でふさぎ,残りの鼻穴に小瓶を近づけてきた. 俺はやばい麻薬なのかと思い,抵抗したかったが,両手を縛られた上に口と鼻をふさがれて抵抗できず,無理やり吸わされた. シンナーみたいな匂いがしたが,しばらくして,急に心臓の鼓動が早くなり,ものすごい快感が押し寄せてきた. 「うわ~~」 もうあとは,彼らの言うがままだった. 両手を縛った紐を解かれ,その代わり 「もっと気持ちよくなりたいんだろ?」 と,先輩のチンポを順番にしゃぶるよういわれた. そして,後ろからはケツを掘られ,前からはしゃぶるよう強要される. もう一人は,休んでいるか,俺の乳首を嬲っているか,ラッシュを俺に吸わせるか,この繰り返しのローテーションで,延々とやられ続けた. 途中からは記憶がなくなり,気がついたら朝で,全身精液まみれで寝てていた. ケツを触ると,血が出た形跡があった. 先輩3人は,やはり裸で寝ていた.
その場は,理性がもどり,慌てて精液まみれのまま服を着て,家に帰った. それ以来,ほかのラグビー部の連中には,体調不良を理由に欠席しつづけた. しかし,頭の中では,あの夜の事を拒絶するのとは裏腹に,体は,あの晩の事が忘れられず,毎日あの夜の出来事を思い出してオナニーをした.
ついに我慢できなくなり,先輩の一人に電話して,また,犯してくれるよう,頼んでしまった. それ以来,俺はその3人のケツマン奴隷になった. いや,俺のほうで,ケツマンが疼いて,求めてしまうのだ.
いつだろうと,3人の誰かから電話があれば,ラッシュ片手に自転車で彼らの家に掘られにゆくのだ. 大学でも,ラグビー部練習の休憩中,授業のない教室や校舎のトイレで掘られるのだ.そして,ラグビー部の練習が休みの日は,それこそ,4人が誰かの家に集まって,俺のケツマン掘る集会が始まる.
最初に掘られて、その時はイヤだったのに、結局、再び電話して、もう一度掘ってくれるよう頼んでしまった。 男のチンポを舐めたり、ましてやにケツをやられるだなんて、理性では気持ち悪いのに、しかし、ケツが覚えたあの快感だけは、もう一度味わいたい、そういう気分になっていた。 そして、3人の先輩のうち、2人(A,B)がうちの家にやってきた。 (もう一人のCは、その日バイトで都合がつかなかったらしい)
ここで俺は、本格的にケツを洗う方法を教えられた。 ユニットバスでシャワーヘッドをはずし、ケツにあて、ケツ内にお湯を入れ、そしてユニットバスのトイレで排出する。 「いいか、俺たちに掘られるときには、いつもこうやって準備するんだぞ!。それから、毎朝大学に行く前には、かならずケツを洗うこと」 「え?」 「毎日俺たちが大学で掘るからだよ。」 「そんな、毎日学校でだなんて、できませんよ・・・」 「そのうち、お前の方が我慢できなって、毎日掘られたくなるぜ」 「・・・」 こういうのを、「墜ちる」というのかもしれない。
それが終わったあとで、今度は、俺はケツ割れを与えられ、ケツ割れをはいたまま犯された。
このとき、やはり掘られている最初は痛く、チンポも萎えているのだが、我慢していると、そのうち快感に変わり、俺自身も勃起する。 だが、俺が勃起しても、AもBも俺のチンポには触ってくれない。 しょうがないので、俺は掘られながら自分のチンポをしごこうとしたのだが、そのとたんに、掘っているAのチンポが抜かれ、鉄拳が飛んできた。 「馬鹿野郎!、おまえは、自分のチンポに触るんじゃあねえ」 「え・・・」 「いいか、おまえは、俺たちを気持ちよくすることだけ考えときゃいいんだ。おまえが自分のチンポの事を考えたら、俺たちへの奉仕がおろそかになるだろ」 「そんな・・・」 「おまえが気持ちよくなっていいのは、このケツマンコだけだからな」
こうして、俺自身が自分のチンポにふれる事すら、禁じられた。 しかし、これはかなり辛いことだった。
その後何度も回数を重ねるうちに、徐々に俺のケツマンは、モロ感になっていったからだ。 先輩たちに掘られて、俺のチンポはギンギンにいきりたち、我慢汁すらでているのに、そのチンポには、先輩は触れてくれず、自分でも触ってはいけない。
せめて、トコロテンで射精できたらと思うのだが、なかなかできなかった。 先輩3人は、自分たちが気持ちよくなる事しか考えていないので、掘る作業自体も、(今から考えれば)俺のトコロテンを狙って掘っているわけではなく、行けないのも当然だった。 しかし、自分は行かないということは、逆に言えば、いつまでもあえぎ続けられるということでもある。 週一回週末には、練習が休みの日があったので、その前の晩はいつも、一晩かけて3人に廻されるのが恒例になった。部の他の皆には、俺を含めた4人は単に毎週飲み合ってる仲が良い関係ことになっているが、実際には、俺を使った性欲処理が行われていたのである。 このときには、何度も掘られ、相手に種付けされ、そのうち俺は、射精を伴わない絶頂を何度も迎え、そのうちに萎え、俺が萎えても掘られ、そうするとラッシュを吸わされてまた勃起して、そのまま掘られて、そのうち俺のケツマンは3人の精液まみれになり・・・を繰り返すようになった。 そしてこのころになると、本当に、風邪でも引かない限り、毎日掘られないと我慢できなくなってきた。 だから、毎朝ケツマンを洗ってから、学校へ行き、授業を受けてる間や昼休みに携帯で呼び出しが掛かるのがまちどほしくなった。3人は相談をしているらしく、たいてい、毎日一人以上には学校で種付けされた。 この普段のケツ掘りは、大学のトイレなどでやる関係、たいてい短い時間で手早く済ませなくてはならないため、俺としては、先輩のチンポをケツマンで十分味わう間もなく相手が種付けを完了するのが残念だったが、それでも先輩のケツマンが自分に入っているという満足感は得られた。
しかし、射精無しではあまりに辛いので、俺は密かに大人のおもちゃの店に行き、ハリ型を購入し、毎晩寝る前に自宅でハリ型を挿入し、自分でしごいて射精する毎日が続いた。
こうして俺は、先輩3人の奴隷になった。
|